開国の父 老中・松平忠固
開国の父 老中・松平忠固

記 事

【118】寺社奉行は自治大臣≫

戸籍を管理する寺社を統括する寺社奉行

寺社奉行は今でいう自治大臣(現在は総務大臣ですが)である、ってご存知ですか?

今はお寺の檀家制度が廃れてしまいましたが、江戸時代は全ての家庭が檀家としてお寺に所属していました。

つまり、お寺が人々の戸籍を管理し、その寺社を統括するのが寺社奉行、という訳です。

 

 

阿部正弘より2年早く寺社奉行に

全国三百余侯の大名で20名しかなれない役職、奏者番。

その奏者番の中からさらに4名しかなれないのが寺社奉行です。

その寺社奉行に26歳にて忠固は就任することになりました。

まさに王道中の王道。

政争に敗れ失脚しなかったら、阿部正弘より2年前に寺社奉行になっていますので、老中首座として開国の歴史は大きく変わっていたでしょう。

 

 

『南紀派の一味』という忠固評

いつも気になるのは、忠固評ではいつも二度目の老中以降しか語られず、『南紀派の一味・ボスの井伊直弼を担いで旧態依然とした体制を維持しようとした』との見方が一般的ということです。

南紀派・井伊直弼については後の説明に譲るとして、忠固は既に20代の頃から、ペリー来航前から政権の中枢を担っていた、そして、32過ぎまで大名でもなく江戸城に登城したことさえなかった井伊直弼とは政権運営のキャリアが天と地ほどに違う、ということです。

 

 

歴史修正主義ではない

安政の大獄という日本史上に残る悪政をした直弼が復権することは、確かに歴史修正主義でしょうが、忠固の場合は歴史を丁寧に紐解けば、日本の開国を成し遂げ(しかも不平等でなく)、生糸貿易の道筋を作ることで大きく日本の世界デビューに貢献した、ということが分かってもらえると思います。

 

 

 

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