開国の父 老中・松平忠固
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記 事

【121】忠固の後ろ盾の一人・真田幸貫≫

真田家の幸貫が老中に

上田藩主でもある忠固が寺社奉行の時代、有力な味方と考えられる人物が老中に就任します。

真田幸貫、大河ドラマでもおなじみ真田と言えば上田、上田といえば真田、の真田家です。

真田家はあの真田幸村の兄・信之が初代の上田藩主ですが、すぐに隣の松代藩に移封となります。

ですので、江戸時代は上田は実は真田の所領ではないのですね。

 

 

佐久間象山を登用

真田幸貫は名君として名を残しています。

ここで取り上げたいのは、何といっても幸貫が佐久間象山を登用したことです。

それまで儒学者であった象山に蘭学を研究せよ、と命じたのです。

それはとてつもない功績だと思います。

なぜなら象山がいなかったら弟子の吉田松陰や勝海舟は誕生しなかった訳で、松陰がいなかったら桂小五郎や高杉晋作など長州勢の勃興はなかったし、勝がいなかったら龍馬もなかったでしょう。

佐久間象山

 

 

旧真田所領の仲間

老中就任時の幸貫・50歳。

元の領地である隣の上田藩、その藩主である28歳の忠固をかわいがったと思われます。

忠固は、象山が松陰のペリー艦船密航事件に連座して投獄された時、異例の軽罰で済ませています。

そして、象山の政治舞台復帰のタイミングを最後まで計っていました。

それは、忠固と幸貫、象山は同じ旧真田所領の仲間である、という意識だったから、ではないでしょうか。

 

 

 

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