開国の父 老中・松平忠固
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記 事

【128】露寇、ロシアからの武力攻撃で≫

『異国船打払令』から『薪水給与令』へ

アヘン戦争を受けて幕府は『薪水給与令』を発します。

外国船に対して「薪(燃料)水(食料)は与える』という穏便政策です。

その前は『異国船打払令』という過激政策だった訳ですが、実は『薪水給与令』が出たのは初めてではありません。

外国船に対する法律ができたのは、1792年にロシアのアダム・ラスクマンが根室に来航し、通商を要求したのがきっかけです。

当然のことながら幕府は拒否して帰したのですが、その後すぐ1804年にニコライ・レザノフが来航します。

頻発してきた外国船に対し穏便に対応するため1806年にできた法律こそ、第1回目の『薪水給与令』だったのです。

 

 

 

露寇、ロシアによる武力攻撃で

外国による日本本国への武力攻撃は、第二次大戦を除けば『元寇』しか思いつかないのではないでしょうか。

しかし、露寇、ロシアからも武力攻撃をこの時期に受けたのですね。

通商を拒否されたレザノフが、樺太の松前藩居留地や択捉島の幕府駐留軍に攻撃したのです。

ロシアとの武力衝突、樺太や択捉島は既に日本が管轄していた、ということはもっと知られていいと思います。

この露寇によって1回目の『薪水給与令』は1年で撤回されます。

そして領土防衛の準備が完了したからでしょうか、1825年に強硬策の『異国船打払令』が発布され2回目の『薪水令』まで続くことになります。

 

 

真田幸貫の提案

『薪水給与令』への転換は、老中・真田幸貫の提案によって決定されます。

アヘン戦争の影響が強かったとは言え、ペリー来航時でさえほとんどが外国に対して否定的・無知だったことを考えると、とても賢明でそして、西洋文明に対する柔軟な姿勢が伺えます。

老中・真田幸貫や堀田正睦、寺社奉行・忠固や阿部正弘など、西洋に対して理解を示す一定の勢力が政権内にあったことを示していると思います。

 

 

 

 

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