開国の父 老中・松平忠固
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記 事

【134】水野忠邦、政変により老中を解任≫

教科書で習う『天保の改革』であるが

『天保の改革』は『享保の改革』『寛政の改革』と共に江戸三大改革と学校では習います。

享保の徳川吉宗、寛政の松平定信と合わせて、水野忠邦も「それは偉人だ」という印象を持っていました。

しかし、天保の改革は結果としては失敗です。

13代家斉時代の放漫政治を一掃したことは評価されますが、江戸と大阪にある諸大名の領地を幕府に召し上げさせる『上知令』が失敗し、同僚の老中・土井利位に追い落とされます。

最後は本人不在のまま土井に上知令を撤回され、その5日後に老中を罷免されることとなるのです。

水野忠邦

 

 

 

鳥居耀蔵の裏切り

水野忠邦が失脚し、追い落とした土井利位が老中首座となる訳ですが、ひどいというかお粗末なのが鳥居耀蔵です。

忠邦の腹心だったくせに、旗色が悪くなったので政敵の土井に機密資料を横流しする、という醜悪な行為に出ます。

そのおかげで鳥居は現職を維持できるわけですが・・・、ですが政変はまだまだ続くのです。

 

 

 

 

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