開国の父 老中・松平忠固
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記 事

【136】誰が忠固を復活させたのか?≫

忠固を寺社奉行再任に導いたのは誰か?

忠固の寺社奉行罷免から1年余りで、老中首座・水野忠邦が失脚・復権・再失脚という政変があった訳ですが、水野が再失脚する2カ月前に、忠固が寺社奉行に再任されます。

致命的な罷免、政治生命を絶たれたと思われた忠固を、いったい誰が復活させたのでしょう?

水野忠邦の置き土産?、そんなことはないでしょう。

それは、水野忠邦が辞職した同日に老中首座となった阿部正弘、その人だとしか考えられません。

その後の二人の歩みから見て、それは間違いないと思います。

 

 

 

盟友の証拠

松平忠固と阿部正弘、この二人の関係はこれまで確固たる資料がなく、年表の流れから推察するしかありませんでした。

しかし、二人が盟友であった証拠がやっと見つかりました!

儒学者の尾藤水竹が水戸藩士に出した書状です。

「閣老後任いよいよ大坂(忠固。大坂城代)に定まり召状を発せられたり。この人は勢州(阿部正弘。伊勢守)無二の懇意にもあり、すごぶる長者の聞えあり」

忠固が大坂城代から老中になる時の書状ですが、「二人が無二の懇意である」証拠がやっと一つありました。

それに、「すごぶる長者」という言葉も気になります。まさか「穏やかという意味???」

忠固の画と唄「時わかぬみどりの松にいろはえてゆかりに寄する春の藤浪」

 

 

 

 

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