開国の父 老中・松平忠固
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記 事

【145】琉球・フランス条約で開国は始まった≫

ペリー来航7年前に開国は始まった

開国はペリーが来て始まったのではない。

その7年前の弘化3年(1846)琉球とフランス間の通商条約締結で始まったのだ -

という説があります。

この年、フランス海軍司令官セシーユ率いる軍艦クレオパトル・ヴィクトリューズ2隻が琉球に現れ、通信・貿易を強硬に求めます。

弘化元年(1844)に仏軍艦アルクメール、翌年にはイギリス測量船サマラング、さらに翌年の前年にはベッテルハイムが那覇に上陸・居住、入れ違いに仏軍艦サビーヌ来航と、切迫した中での1846年でした。

琉球は薩摩藩の支配下にあり、これにより開国の歴史は始まったのだ、ということです。

 

 

 

島津斉彬、歴史上に初登場

琉球より急報を受けた阿部政権ですが、フランスの強硬姿勢から「鎖国攘夷至難なるを覚る者少しとせず」ことから6月1日、島津・薩摩藩主父子を呼び将軍・家慶が「琉球の事は総て卿に委任す」と伝えます。

この時、初めて日本史上に島津斉彬が登場します。

まだ藩主の世子だった斉彬ですが、阿部は斉彬に言うのです「幕府内部の事は私が引き受けるから、薩摩藩の方は貴方がしっかりやってほしい」と。

阿部と島津斉彬の信頼関係はこの時に始まります。

阿部はここで、譜代の忠固、親藩の斉昭、そして外様の雄・薩摩の斉彬と3本目の矢を手に入れるのです。

 

 

 

 

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