開国の父 老中・松平忠固
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記 事

【149】『蚕都・日本一』は忠固の手腕≫

『蚕都日本一』は忠固の手腕

忠固の領地、長野県上田は養蚕の産地です。

忠固が領主であった天保年間(1830-1843)には、冥加金(領主に納める税金)200両を3年間納入し『本場』の地位を獲得、名実ともに日本一の生産地となっています。

禁絹令(田畑での桑の栽植を禁ずる法律)の敷かれる中で、河原や山腹に栽植することで桑園開発を行ったことを踏まえると、「日本一」の称号はまさに忠固の手腕と考えられるのではないでしょうか。

 

 

 

養蚕の先駆者

1827年、上田の藤本善右衛門保右が優れた糸質に強靭性が加わった「黄金生」を開発、1845年頃大流行した『青白」は『黄金生』の異名同種です。

1848年には保右の子である藤本善右衛門縄葛が『信州かなす』を開発、藤本善右衛門の名は全国的に有名となります。

この縄葛は青年時代、佐久間象山と上田市にある毘沙門堂で共に禅の修行をしています。

生糸・政治・輸出とつながる糸は、縄葛・象山・忠固によって紡がれていることも考えられます。

 

 

 

 

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