開国の父 老中・松平忠固
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記 事

【151】第2のマンジロー・音吉≫

幸運のマンジロー、不遇の音吉

第2のマンジロー・音吉を知っていますか?

ジョン・マンジローはご存じと思います。

子供の頃に遭難して太平洋で操業していたアメリカ捕鯨船に救助され、そのまま米国に渡って教育を受け、青年になって日本に帰ってきて日本の開国に際し助力した人物です。

マンジローが帰国したのが琉球で、しかもその時の統治者が島津斉彬だったというのがマンジローの幸運でした。

英明な斉彬だからこそマンジローの価値を見抜き、中央の阿部につなげ幕臣に取り立てられることとなります。

一方の音吉、マンジローよりはるかに前なので第2というのは正確ではありません。

音吉もやはり遭難し米国船に救助されるわけですが、音吉が帰国しようとして起きたのがあのモリソン号事件なのです。

 

 

 

最後まで日本に戻らなかった音吉

長い苦難の上ようやく帰国できるかと思われた刹那、祖国から砲撃され上陸が叶わなかった音吉。

しかし音吉はあきらめなかったのでしょう。

忠固が老中となった翌年、今度はイギリス船に乗船し中国人に化けて浦賀に来航し、通訳として日本人と接触することに成功します。

その後、日米和親条約締結直後にイギリス・スターリング提督の通訳として日英交渉に関わり、そして横浜開港時にはジャーディンマセソン商会に次ぐ勢力であったデント商会の支配人として巨額生糸取引を成立させるのです。

日英交渉時には日本から帰国を勧められましたが既に上海で家族を持つ音吉は断り、ついに日本に戻ることはありませんでした。

 

 

 

 

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