開国の父 老中・松平忠固
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記 事

【157】ペリーの名や艦名、目的、時期さえ知っていた≫

クルティウスの書簡

その書簡は長崎と天文方、二つの訳文がなされました。(日蘭学会誌第13巻2号)

北アメリカ合衆国政府が日本に向けて同国との貿易関係を結ぶため、合衆国大統領の日本皇帝宛ての書簡一通を携え、かつ数人の日本人漂流民を連れた一使節が派遣させるとのことであり、また、北アメリカ人の為に、日本の一つの適切な港に石炭を貯蔵できるための許可を求めるとのことですが、その港を彼らは、彼らがカリフォルニアとシナとの間に計画している蒸気船の航行にとって必要としているとのことです。

予想される軍艦名は、軍用蒸気フリゲート艦サスケハンナ、コルベット艦サラトガ・プリマス他二艦が現在シナ海域にあり、最近受け取った幾つかの報告によれば、同海域には蒸気艦ミシシッピー、プリンストン、ブリック艦ペリー、運搬船サプライがいて、遠征指揮官は准将オーリックから准将ペリーに代わったとのことです。

第一次・第二次ペリー来航とほぼ合致しています。

当時のサンフランシスコ、おびただしいマストが見えます

 

 

 

目的だけでなくペリーの名や艦名さえ知っていた

来航時期まで知らせており、4月末あたりにマカオを出発とのことで、実際にペリーがマカオを出たのは4月7日。

つまり阿部・忠固政権はペリー来航の指揮官名や軍艦名、目的、時期をほぼ正確に知っていたということです。

蒸気船の発達によって世界が日に日に狭くなっていること、北半球ほぼすべての国々の状況、対岸のカリフォルニア・サンフランシスコがゴールドラッシュから港湾都市として整備され、中国との通商上の寄港地を必要としていること。

それらを知っていたからこそ、クルティウス来日1か月後には「軍艦・大砲建造の意見書」を将軍家康に提出し、ペリーが去ったわずか3日後には台場建設を、7日後にはオランダに対して蒸気船の発注及び軍艦6,7隻の購入を指示します。

無能どころか、これ以上あり得ないほどのスピードで次々と手を打つのです。

 

 

 

 

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