開国の父 老中・松平忠固
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記 事

【158】ついにペリー来航≫

ペリー来航

58番目の記事にて、ようやくペリーが来日しました。

嘉永6年6月3日(1853年7月8日)、ペリー艦隊4隻が浦賀に出現します。

ペリーは実は、太平洋を渡ってきたのではありません。

4カ月半かけて地球の4分の3回って、インド回りでやってきました。

ペリー側はそれを意図的に隠して「アメリカから20日で来られる」と強調し、実はまだ机上計算でしかなかった太平洋航路を使っているフリをするのです。

 

 

 

政権や地元の人々は恐れを抱いていなかった

阿部・忠固政権は、これまでのオランダの詳細な報告により事実を知っていたと思われます。

ですが、それは極秘事項なので政権幹部以外の諸大名たちは知らないし、当然ながら一般市民は知る由もありません。

学校では「ペリー来航により大パニックになり、蒸気船と大砲に恐れおののいて開国させられてしまった」と習う訳ですが、実際パニックになったのは情報の届かない大多数の諸藩や一部市民で、政権は冷静沈着かつペリー来航を利用しようとする節さえあり、地元市民も7年前のビットル提督来航の時には戦艦コロンブスに100名以上乗船して楽しんだので、それほど恐れを抱いてはいなかったのではないでしょうか。

 

 

 

 

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