開国の父 老中・松平忠固
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記 事

【162】「米国と一戦交えるべきだ」と主張する象山の真意とは≫

象山の攘夷とは

ペリー来航を知った佐久間象山は、夜通し駆けて翌朝には艦隊が見える位置までやってきます。

電話やカメラ、サングラスまでも自分で作ってしまう象山ですが、実は「アメリカと一戦交えるべきだ」と主張しているのです。

意外ですね。

ですが、その主張は水戸斉昭を始めとする9割9分を占める攘夷派の意見とは少し違います。

 

 

 

阿部・忠固政権の判断は

普通の攘夷派は単なる夷狄の排斥、たとえ軍事力で敵わなくてもやるしかないのだ、という精神論です。

戦略も構想もないので、国を滅ぼします。

しかし象山の主張は、「戦争すれば必ず負ける。だがその軽微な敗戦により西洋科学の発展性を理解させられ、国論を開国に持っていける」というものでした。

ペリー来航時に、既に交易開始へ動いていた忠固。

象山の意見を視野に入れていたのは間違いありません。

 

 

 

薩摩と長州が結果的に象山の主張に

結果的に、象山の主張と全く同じ結果になったのが長州と薩摩です。

長州は西洋商船に無差別攻撃を行い、その報復で一瞬のうちに砲台を壊滅させられました。

薩摩はイギリスと薩英戦争を行い、街全体を焼かれました。

それにより二つの藩は、欧米の科学力を実感し西洋に近づくことになります。

もしペリー艦隊と一戦交えていたら薩長の興隆もなく、全く違う歴史になっていたことでしょう。

 

 

 

 

 

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