開国の父 老中・松平忠固
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記 事

【166】ペリーが去った直後に将軍死去≫

将軍・家慶死去

ペリーが日本を去ってからわずか10日後、12代将軍家慶が亡くなります。享年61歳。

家慶を語る上で外せないのが、父・家斉との関係です。

家斉は50年間も将軍職にあり、45歳で家慶に将軍を譲った後も4年後に死ぬまで政治を握り続けます。

「賄賂が公認されるほど腐敗した政治・家斉の重臣たちを一掃した」これが家慶の核心たる事業と言えるでしょう。

そして、他でも述べましたが、若干24歳の阿部正弘を老中首座に登用した「人物を見る目」は卓越したものがあると、個人的には高く評価しています。

 

 

 

家慶の子供達

家慶の継嗣・家定は一般的には暗愚で病弱と言われていますが、なぜそんな家定が継嗣になったのでしょうか。

家慶は、14男13女をもうけました。

しかし、二十歳まで成人したのは家定だけでした。

その家定も、祖父すなわち家斉から毒殺されかけたことがあります。

家斉には53人もの子(成人したのは28名)がいたので、当然将軍職を狙う勢力が暗躍していたのは容易に想像がつきます。

この後、幕末に向かって将軍継嗣の問題が大きく影響していきます。

 

 

 

 

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