開国の父 老中・松平忠固
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記 事

【167】徳川斉昭が入閣、忠固は反対≫

徳川斉昭、入閣

ペリーが離日して約一か月後、御三家水戸家の徳川斉昭が入閣します。

これは政権にとって劇薬、諸刃の剣でした。

なぜなら、『御三家が内閣に入れば政治的権力を握ることになる、それは将軍家と御三家水戸家との間に権力闘争を誘発することになる』。

それは、家康が絶対に避けるために厳命した祖法であり、鎖国(そもそもこの当時鎖国という言葉も意識もない)よりも大事にすべき幕府の祖法だったからです。

 

 

 

忠固は反対するも入閣決定

忠固はそれを分かっていたために、斉昭の入閣を絶対反対します。

しかし、時は政権存亡以上に、国家・民族存亡の危機。

即時に軍事的備えをし、人材登用できる組織改革を断行しなければなりません。

『その不可能を可能にするためのエンジンとして、水戸家斉昭を活用する』

阿部正弘は、忠固をそのように説得したのではないでしょうか。

忠固も『口だけ』でなく『実績』を重んじる人物、斉昭の水戸藩内での改革実績は認めていたはずです。

かくして、20日前に亡くなった将軍家慶の遺言、ということで、斉昭が海防参与として入閣することになります。

 

 

 

 

 

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