【870】第5話 B2 『懐柔』≫
○富士を望む海岸
○大森・彦根陣中
庭の先に江戸湾が見え、品川台場建設の後始末状況が見える。
忠優と直弼、内藤頼寧(54)が座している。
頼寧「忠優殿、息災か」
忠優「これは内藤頼寧(よりやす)殿、ご無沙汰して失礼しておりまする。夬殿、万代殿もお変わりございませぬか」
頼寧「うむ、元気にしておる」
直弼も不気味に愛想よく
直弼「そういえば、頼寧殿の正室夬殿、継室万代殿は伊賀殿の親類に当たるのでしたな」
忠優「万代殿は妹に、夬殿は従兄弟にあたります」
頼寧「酒井家にはたいへんお世話になっておる。ところで今日、忠優殿に来ていただいたのは他でもない。此度の条約調印であるが、祖法をないがしろにするご公儀始まって以来の愚挙。これを扇動した阿部伊勢守並びに水戸老公に責任を取らせなくてはならないと思っておるのだが」
忠優、無表情になる。
直弼「頼寧ら若年寄衆を始めとする事務方、そして溜間詰めは全員この愚挙を決して許すまじと申しておる。譜代のほとんども、この件を知っておる大名は全て反対じゃ。こうなっては大老家であるこの井伊でもは押さえがきかん」
忠優「・・・」
頼寧「伊賀殿も当然我らを支持してくれますな」
直弼「それは無論のこと。伊賀殿は此度のご老公の参与就任並びに外様諸侯が幕政に口をはさむことに対して、猛然と反対されたのですからな」
忠優「・・・」
頼寧「メリケンの親書に対する意見を広く大衆にまで求める、という阿部殿の考えにも反対だともききましたぞ」
ちらりと忠優を見る直弼。
忠優「・・・」
無表情に江戸湾を見ている。
頼寧「・・・」
直弼「・・・」
顔を見合わせる直弼と頼寧。
頼寧、気を取り直して
頼寧「言うまでもなく忠優殿を責めているのではござらん。忠優殿はご老公の暴論・暴走を止めようとしているのは周知の事じゃ。ご老公を登用しているのは伊勢殿。伊勢殿とご老公を排除することこそ、幕府を立て直す鍵だと存ずる」
忠優、遠くを見ながら
忠優「それで?」
頼寧「は?」
忠優「それでこの伊賀に何をせよと。我にご老公をどうにかできる力などないし、人事権もない」
少しの間。
『はっはっは』と笑いだす直弼。
直弼「忠優殿は何もせずともよい。見ているだけでよい。直にご老公と伊勢殿は失脚することになろう。それを待っていてくれればよいのだ」
忠優「失脚・・・」
頼寧「実はな、忠優殿。我々は・・・」
直弼「頼寧殿!」
がっと膝をつかみ、止める。
頼寧「あ、う、うむ」
忠優「・・・」
直弼「賢明なる伊賀殿のこと、時勢をしっかりと読み、その流れに逆らうことのないように。そして、来るべき時には、そなたにも一肌脱いでもらう時が来よう。そう気構えをしていてもらいたい」
忠優「・・・」
○茶室(夕)
井伊直弼と長野主膳が茶をしている。
茶をかき混ぜている直弼。
長野「いかがでございました?」
直弼「うむ、合理家である伊賀のこと、なんとなしに伊勢と御老公の身に何かあることは察したらしい。気づいてからは口をつぐんでしまったわ」
長野「事がなった後はどのようになさるつもりです。あの者を登用するのでありますか?それは危険なことと存じますが」
直弼「そうじゃな。阿部が辞めさせられれば次席の牧野も辞めるだろう。それ以上老中が交代となるとこの難局を乗り切れずに混乱が避けられないので、乗全と忠優は残すことになろう。だが・・・」
茶を飲む直弼。
直弼「それも難局が落ち着くまでの話じゃ」
長野「でござりますな」
直弼「上様との謁見が楽しみじゃな」
長野「はっ、あと3日の辛抱でござりまする」
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