開国の父 老中・松平忠固
開国の父 老中・松平忠固

① 誕生から第一次失脚まで
西 暦 和 暦 出来事
1812 文化9年 7/11 松平忠固、姫路藩酒井家の二男として江戸で誕生 【103】
1830 天保元年 4/21 忠固、上田藩主に 18歳 【104】
7月 忠固、上田初入部 【105】
1934 天保5年 4/28 忠固、奏者番就任 22歳 【112】
1836 天保7年 8/4 鳥居耀蔵、目付就任 40歳 【113】
10/29 忠固、大飢饉により略式軽装で帰国。質素・簡素化、養蚕奨励 24歳 【114】
12/25 阿部正弘、福山藩主に 18歳 【115】
1837 天保8年 9/2 家慶、12代将軍に就任 【116】
6/28 米船モリソン号事件 米商船が浦賀来航も砲撃 【117】
1838 天保9年 4月 忠固、寺社奉行就任 26歳 【118】
1839 天保10年 5/14 蛮社の獄 渡辺崋山ら蘭学者を処分 【111】
1840 天保11年 5/23 アヘン戦争勃発 【124】
5/27 植民地政庁作成の別段風説書が提供開始 【119】
11/8 阿部、寺社奉行就任 21歳 堀田正睦が指南役 【120】
1841 天保12年 閏1月 松代藩主真田幸貫 老中就任。象山を研究担当に 【121】
5/9 高島秋帆、江戸西郊の徳丸原で西洋式軍備の実演 【122】
7/24 アヘン戦争終結 南京条約締結 【125】
10/11 渡辺崋山、自決 【126】
12/28 鳥居、江戸南町奉行に就任 【127】
1842 天保13年 7/23 薪水給与発令 ロシアからの武力攻撃 【128】 ★★
10/2 高島秋帆、外国人との交友の罪で入牢 【129】
11/24 象山、幸貫に海防八策を上書 【130】
1843 天保14年 2/22 忠固、水野忠邦により寺社奉行罷免 31歳 【131】
8/13 鳥居、勘定奉行勝手方兼帯 【132】
9/20 石河政平、勘定奉行兼海防掛 忠固の側近 【110】
閏9/11 阿部、老中に 24歳 【133】
閏9/13 水野忠邦、老中首座解任 【134】
10/10 英サマラン号、八重山で測量を強行 【009】
1844 天保15年 5/6 徳川斉昭、水戸藩主辞任、謹慎 【138】
6/21 水野忠邦、老中首座復帰。8カ月後に再辞職 【135】
7/22 オランダ国王より親書、一番最初の開国要求 【143】 ★
9/6 鳥居、南町奉行罷免 【135】
弘化元年 12/28 忠固、寺社奉行再任 32歳 【136】 ★★
1845 弘化2年 2/22 阿部、老中首座就任 26歳 【137】 ★★
3/12 米船マンハッタン号浦賀入港、海防掛創設へ 【140】
3/18 忠固、大阪城代就任 【139】
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