開国の父 老中・松平忠固
開国の父 老中・松平忠固

④ 老中再任、日米修好通商条約締結
西 暦 和 暦 出来事
1856 安政3年 7/21 米駐日総領事ハリス、下谷来航
8/4 政府、航海の厳禁を変革し、交易の利益を以て富国強兵の基本となす布告
8/22 松蔭、松下村塾を主宰
9月 アロー号事件勃発 英仏と清国がアロー戦争(第二次アヘン戦争)へ
12/18 家定、篤姫と婚儀
1857 安政4年 6/17 阿部正弘、死去 38歳
7月 上田藩士櫻井純蔵と恒川才八郎、松下村塾を訪ねる
7/23 斉昭、今日の関白・九条家へハリスの恐喝など大げさな上書
7/23 斉昭、政務参与辞職
7/26 政府、ハリスの上府を決定 溜間は反対
9/13 忠固、老中再任 45歳
9/28 忠固、直弼からの献金を受け取らず
10/16 慶永、慶喜を将軍継嗣へ献言
10/21 ハリス、上府し将軍家定に江戸城で謁見
11/27 忠固、慶永から受けた5000両を返す
11月 英仏、広州占領
12/4 岩瀬忠震と井上清直、政府全権としてハリスと第1回条約交渉
1858 安政5年 1/2 斉昭、「ハリスの首を刎ねよ」の発言を一橋慶喜に諌められる
1/6 斉彬、慶喜をご継嗣にと勅命を奏請
1/10 第13回日米条約交渉 全ての条文を議了
1/12 堀田、勅許が必要として2ヶ月調印延ばす
3/12 岩倉具視ら88名の公家 通商条約に抗議の座り込み
3/22 堀田、勅書を受け取る 年長・英傑・人望→にぎやかにて 将軍継嗣に関与
4/20 堀田、帰府
4/21 堀田、家定に吉永を大老にと進言
4/22 忠固、直弼邸を訪問 大老就任を依頼。翌日の婚礼をキャンセル 【108】
4/23 直弼、大老就任
4月 石河政平、御用取次就任
5/1 家定、慶福を将軍継嗣とする内意を示す
5月 英仏、天津制圧 天津条約締結 賠償金600万両、10港開港等 【107】
6/13 政府、天津条約の内容を把握 【106】
6/17 ハリス、文書を以て英仏が清国の次に日本にも来ると発言
6/19 政府、閣議にて勅許にこだわる直弼から「やむを得ない場合は仕方がない」の言質を取る
6/19 日米修好通商条約調印 【100】
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