開国の父 老中・松平忠固
開国の父 老中・松平忠固

松平忠固年表

② 老中就任からペリー来航
西 暦 和 暦 出来事
1846 弘化3年 1月 忠固、難波橋に上田織物扱所開設、御城代縞として評判に 【141】 ★
2月 井伊直弼、世継ぎとなり江戸城に初登城 31歳 【142】
2/13 孝明天皇、即位 15歳 【143】 ★
閏5/27 米船・東インド艦隊司令長官ビッドル、浦賀で通商要求 【144】
6/27 琉球・フランス通商条約を許可 【145】
1847 弘化4年 9/1 水戸家七男・七郎麿、一橋家を継承。慶喜と改名 【146】
1848 嘉永元年 10/1 松平忠固、老中及び海防掛就任 36歳 【147】 ★★
  生糸『信州かなす』、藤本善右衛門縄葛が開発 象山と禅仲間 【149】
1849 嘉永2年 閏4/8 英船、マリナー号、浦賀を測量 音吉が中国人として乗船 【151】
3月 米船プレブル号、長崎入港 忠固側近の長崎奉行井戸覚弘が対応 【150】
  ロシア、樺太が島であることを確認 【172】
1850 嘉永3年   直弼、忍一件 【148】 ★★ 
11/21 直弼、彦根藩主に就任 36歳 13男の庶子・彦根育ち(人脈ない) 【152】
1851 嘉永4年 2/2 島津斉彬、藩主に就任 45歳 嫡男の江戸育ち(江戸人脈) 【153】
2月 斉彬、米船で琉球に上陸した万次郎を保護 【155】★★
5月 象山、江戸に砲術塾を開く 生徒に勝海舟や吉田松陰 【154】
1852 嘉永5年 閏2/18 蘭商館長クルティウス、別段風説書によりペリー来航を予告 【156】
7/8 政府、軍艦・大砲建造の意見書を家慶に提出 【157】
1853 嘉永6年 4/21 ペリー艦隊、那覇上陸 【161】
6/3 ペリー、浦賀に来航 【158】
6/4 象山、浦賀に到着 【162】
6/6 政府、国書を受け取る決断 【102】
6/9 ペリー、久里浜に上陸 【160】
6/9 米国の国書受理 【159】
6/10 日米の交流、ペリーの日本評 【164】
6/12 ペリー、江戸を離れる 【163】
6/22 家慶、死去 【166】
7/5 斉昭、海防参与を命じられる(政権入り) 【167】
7/13 直弼、ペリー来航の知らせを受け江戸へ向かう 【168】
7/18 プチャーチン、長崎に来航 帆走船4隻 【169】
9/12 松前藩、ロシアの久春古丹占拠を報告 【170】
9/15 大船建造解禁
9/19 様式帆船鳳凰丸を浦賀造船所にて起工 7ヶ月後に完成
10/18 斉昭、大砲74門を幕府に進上する
10/18 プチャーチン、樺太領土を主張 【171】
11/6 斉彬、15隻の艦隊建造を願い出許可される
11/7 政権、万次郎を旗本格で登用
11/23 家定、将軍就任
12/1 龍馬、佐久間象山塾に入門、翌年に橋本左内や真木和泉が入門
1/8 プチャーチン、長崎を出航
1854 嘉永7年 1/14 ペリー、再来航
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