開国の父 老中・松平忠固

【171】ロシア、樺太の領有を主張≫

プチャーチンが樺太領有を主張

始めはプチャーチンは和親交渉しかしませんでした。

ロシア皇帝の国書には和親条約に関することしか触れられていなかったからです。

しかし、コルサコフ大尉から樺太のクシュンコタン占領の報を聞き、「樺太のロシア領有」を主張するのです。

その一か月前には松前藩からその情報を得ていたとはいえ、幕府が困難な状況に追い込まれているのが伺えます。

 

 

 

それに対して日本は

プチャーチンの主張に対し、交渉役だった川路聖謨は「南樺太は日本である」と反論します。

その反論に使用したのが、オランダが作成した世界地図です。

オランダが作成した樺太周辺の地図に、北緯50度のところに線が引かれ、そこまでが日本であることを示していたからです。

国際社会における一番初めの日本地図』でも北緯50度までが実線で書かれ、それより北部は薄い線で描かれています。

これは当然川路の独断でなく政府として指示した交渉であるので、阿部・忠固政権が非常に見事な外交交渉をしていることを表わしていると思います。

 

 

 

 

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

開国の父 老中・松平忠固

PAGE TOP

© 開国の父 老中・松平忠固史 2024 All Rights Reserved.