開国の父 老中・松平忠固

【169】ペリーと同時にロシアも来航≫

ロシアのプチャーチン、来航

ペリーが離日して、わずか一か月余り、ロシアのプチャーチンが来航します。

現在に続く世界情勢に、まさにここから日本は組み込まれるわけなので、私はペリー来航についてはぜひプチャーチン来航と合わせて開国史を学んでほしいと思っています。

しかも、アメリカは『ロシアが日本にプチャーチンを派遣する』という情報を得て、それに対抗する為にペリーを派遣させてロシアに先んじることに成功したわけですから。

 

 

 

ペリーと違い友好的なプチャーチン

ロシアはアメリカと違い、以前より直接対峙していたのではっきりと幕府内で認識されており、1804年実際に交戦したことは、『薪水給与令、ロシアからの武力攻撃』で述べたとおりです。

ただ、プチャーチンは非常に友好的に来航します。

ペリーが江戸湾に乗り付け砲艦外交で強硬姿勢を見せたのに対して、プチャーチンは日本の規則通り長崎に来航し、アメリカやアヘン戦争を起こしたイギリスと違い、紳士的で友好的であることをアピールしたのです。

阿部・忠固政権は、アメリカとロシア、同時に二か国から国書に対する返答をすることを迫られます。

 

 

 

 

 

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