開国の父 老中・松平忠固

【120】忠固と阿部の指南役が堀田≫

阿部・忠固の指南役が堀田

アヘン戦争勃発の年に阿部正弘が寺社奉行に就任します。

忠固の就任から2年あと、阿部正弘21歳、忠固28歳。

寺社奉行は、【112】奏者番でも書いた通り、三奉行の内、勘定奉行と町奉行が叩き上げの官僚たちが就任するのに対し、唯一大名が就任する役職で、老中に至る出世の登竜門です。

この時の二人の指南役が、老中・堀田正睦31歳でした。

 

順天堂病院は堀田が開いた

別段風説書などの情報により、世界情勢をかなり把握していた時の政権。

そんな中でも忠固・阿部・堀田の三人は、西洋技術の圧倒的な力を理解し「これを取り入れるしかない」と考えていました。

後に、口では開国と言いながら開国を妨害することしかしなかった言行不一致な人がいる一方、堀田が自藩である佐倉に西洋医学の順天堂(今の順天堂大学病院)を開いたのも、その思いが本物だった証しでしょう。

 

 

 

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