開国の父 老中・松平忠固

【125】南京条約、香港がイギリスへ≫

香港がイギリスに

アヘン戦争によって圧倒的に敗北した清国がイギリスと結んだ南京条約は、下記の内容です。

1.香港島割譲
2.賠償金2,100万$を四年分割で支払う
3.広州、廈門、福州、寧波、上海の5港開港
4.公行(指定貿易組合)の廃止による貿易完全自由化

香港が今の中華人民共和国に返還されたのが1997年、記憶に新しいですね。

近代史はまさにアヘン戦争から始まり、そしてそれは現在も継続しているのです。

 

 

 

日中の開国条約の違い

開港条約:日米修好通商条約と天津条約の比較は【107】より有利な条件で で述べましたが、開国条約:日米和親条約に相当するのが南京条約です。

開港条約もそうでしたが、この開国条約も日本と中国では全く違いますよね。

中国の場合は、香港を取られ、巨額賠償金(当時の2100万ドルの価値を換算するのは困難ですが、清の歳入の4割程度と言われているので、現在の日本の歳入額で当てはめると15兆円)を払わされています。

日米和親条約は言うまでもなく、領土の割譲はないし賠償金もありません。

ペリーが持ってきたアメリカ大統領の国書などは、それは感動するほど友好的な文章なのです。

 

 

 

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

開国の父 老中・松平忠固

PAGE TOP

© 開国の父 老中・松平忠固史 2024 All Rights Reserved.