開国の父 老中・松平忠固

6月2019

【143】孝明天皇即位≫

孝明天皇、15歳で即位

弘化3年(1846年)2月13日、孝明天皇が即位します。15歳。

この時点では帝を含め公家は、政治とは全く無縁の生活を送っています。

公家諸法度で法的にそういう立場であったことは言うまでもないでしょう。

そして、公家たちの側も政治に関わりたいとは一ミリも思っていなかったと思われます。

(さらに…)

【143】一番最初の開国要求≫

一番最初の開国要求はオランダ

天保15年(1844年)7月22日、オランダ国王の使者が長崎に来航、正式に日本に開国を勧めます。

これがペリーへ続く日本への開国要求の一番最初です。

オランダ国王ウィレム二世からの親書なので正式に返答する必要があります。

しかし、この時は水野忠邦の再登板時で政局が混乱していたので、返事ができませんでした。

この返答を翌年、老中首座となった阿部正弘が行います。

(さらに…)

【142】Wikipediaに【安政の大獄】がない≫

【批評】でなく【実績】を見る

このサイトは、【批評】でなく【実績】で判断したいと考えています。

それは、忠固自体が悪口とも言える個人攻撃の批評によって、正当な評価が得られていないからです。

考え方が違うのは、大いに結構です。

忠固と正反対の行動を取った徳川斉昭も、個人的に嫌いではないのは、斉昭も日本の将来を思っての主張・行動だったからです。

しなしながら、井伊直弼はどうでしょう。

(さらに…)

開国の父 老中・松平忠固

PAGE TOP

© 開国の父 老中・松平忠固史 2024 All Rights Reserved.