開国の父 老中・松平忠固
9月2019
【163】ペリーの知られたくない事実を知っていた日本≫
最重要機密を知っていた幕府
ペリーは国書を渡すことに成功すると、来航からわずか9日間で日本を離れます。
これは長期滞在するだけの物資がなかったからで、この事実はペリーの個人日記にだけ記されたトップシークレットであり、公式文書にもなければ当然ながら相手(日本)には秘密のことでした。
しかし、幕府はこの事実さえつかんでいたのです。
当時の日本政府はペリーに対し互角以上の交渉をしていたことが分かります。
【162】「米国と一戦交えるべきだ」と主張する象山の真意とは≫
象山の攘夷とは
ペリー来航を知った佐久間象山は、夜通し駆けて翌朝には艦隊が見える位置までやってきます。
電話やカメラ、サングラスまでも自分で作ってしまう象山ですが、実は「アメリカと一戦交えるべきだ」と主張しているのです。
意外ですね。
ですが、その主張は水戸斉昭を始めとする9割9分を占める攘夷派の意見とは少し違います。
【161】アメリカの沖縄政策はペリー当時から始まった≫
浦賀来航前に琉球へ
あまり知られていないかもしれませんが、ペリー艦隊は浦賀に来る前に琉球に寄っています。
1953年5月26日(嘉永6年4月21日)、那覇に入港します。
首里城訪問を拒否されたペリーは武装して進軍、入城を果たします。
下記の画像はその時のものですが、ペリー一行は料理を歓待されたものの、琉球が用意したもてなしは清国からの冊封使に対するよりも下位の料理で、暗黙に拒否の姿勢を示しました。
【160】ペリー上陸で演奏された『アルプス一万尺』≫
ペリー上陸、軍楽隊の演奏と共に
ペリー艦隊が浦賀に現れて7日目。
ついにペリー提督以下、300名の海兵隊員が日本に上陸します。
上陸と共に、アメリカ国歌が軍楽隊によって演奏されました。
あのアメリカ国歌をバックに勇壮と行進するペリー以下のアメリカ軍。
イメージしただけでドラマチックです。(私の脚本でも当然描いています)
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