開国の父 老中・松平忠固

7月2020

【841】第3話 C1 『ロシアとの領土交渉』≫

○ユーラシア地図
ロシア国旗。
ロシア帝国全図。
16世紀から17・18・19世紀の領土推移。
ロシア領地に色がだんだん塗り広がっていく様子。
N「ロシア帝国。この国が広大な領土を獲得するに至る東方進出が活発化するのは、17世紀のことである。西暦1636年イヴァン・モスクヴィチがロシア人として初めてシベリアを横断してオホーツク海及び太平洋側に到達。18世紀に入るとヴィトゥス・ベーリングがユーラシアと北米との間の海峡(ベーリング海峡)にたどり着き、ユーラシア大陸とアメリカ大陸が陸続きではないことを確認した」
ベーリング海峡やアラスカまでロシア領となる。
N「ロシア人が短期間で太平洋まで至ることができた理由は、シベリアの大河の支流から支流を伝うことで地形的障害なく東へ向かうことができたことが非常に大きかった」
シベリアの大河をつないだ東西連絡路図。
中央アジアのイルクーツク。
バイカル湖。
スタノヴォイ山脈。
ウラン・ウデ、チタ、ネルチンスクを経てアルグン川へ。
この時点ではアムール川北側及びウスリー川東側は清国の領土だった。
N「日本との関係は、西暦1701年頃日本人漂流民伝兵衛らとウラジミール・アトラソフが出会って初めて日本に具体的に関わる。元禄13年(西暦1700年)幕命により松前藩は『十州島(北海道)、唐太、千島列島、勘察加(カムチャツカ半島)』からなる蝦夷全図と松前島郷帳を作成、1706年頃にそのカムチャッカはロシアによって占領される。1739年にベーリングの探検隊が房総などに来航し、この頃までには日本も北方に『オロシア』という国があることを認識するようになる」
カムチャッカ半島。
日本の『十州島(北海道)、唐太、千島列島、勘察加(カムチャツカ半島)』の地図。 (さらに…)

【840】第3話 B4 『香港社交界のペリー』≫

○阿部家・外観

 

○同・庭
阿部正弘の再婚の宴が催されている。
にこやかに談笑している阿部。
白むく姿の妻・謐子【しずこ】(16)。
阿部と話しているのは、慶永・斉昭・宗城。
『嘉永6年(西暦1853年)11月11日』
慶永「娘の謐子が阿部殿に嫁ぐなど、まさに感無量じゃ」
斉昭「そうなると、伊勢殿の父が慶永殿になるわけか。そうすると伊勢殿は今後慶永殿には頭が上がらぬな。がっはっは」
宗城「いやはや、誠にめでたい。これでわれらの結びつきもより一層強固なものになるというものである。ははは」
照れる阿部。
談笑している一同。
談笑している阿部や慶永達と離れたところにいる忠優。
忠優「・・・」
華やかな日本庭園の宴の風景。

 

○西洋庭園
日本庭園とは違った華やかさを備えるイングリシュ・ガーデン。

 

○香港
庭園から望む香港の風景。
『香港』
華やかな正装をした西洋人達が社交でパーティをしている。
ドレス姿の女性もいる。
『英国香港総督公邸』
英国香港総督ジョージ・ボンハム卿夫妻、フランス公使ド・ブールブロン卿夫妻、アメリカ国務省ハンフリー・マーシャル弁務官、英国東インド・中国艦隊司令ジェームズ・スターリング卿、フランス海軍提督ド・モンラヴェル卿、ペニンシュラ&オリエンタル社支配人、ジャーディンマセソン社支配人ウィリアム・ジャーディンらが談笑している。
ペリーが入ってくる。
『英国香港総督ジョージ・ボンハム卿』
ボンハム「これはペリー提督、ようこそお越し下さいました」
ペリー「遅くなりまして大変失礼致しました、ボンハム卿。奥様にも」
ボンハム夫妻と握手をするペリー。

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【839】第3話 B3 『鎖国』≫

○江戸城・御用部屋
上座に座る斉昭。
N「そして、懸案だった斉昭の海防参与就任は、家慶の遺言ということで嘉永6年(西暦1853年)7月3日に決定・5日に就任し、すでに幕閣に参加していた」
牧野と生き生きと話している阿部。
無力感の漂う忠優。
老中陣が右側に整列し、対して左側には溜間勢が鎮座する。
中央に座る直弼、脇に高松候や忍候ら。
阿部と忠優の様子を注視する。
牧野「台場普請、大船建造、人材の登用について、以上のように進める所存でござるが、溜間の面々におかれましてもぜひご承認いただきたく」
溜間勢「・・・」
勝手に決めているので面白くない。
直弼「謀反につながる台場普請に大船建造、倫理を破壊する下剋上の登用、そのように次々と祖法を破る資格が貴殿らにあるのか」
斉昭「なんだと」
血相を変える斉昭。
直弼「それに」
斉昭を遮るように続ける直弼。
直弼「国書はどうなるのでござる。まさか御公儀開闢以来最も重要なる祖法の中の祖法、鎖国祖法をもお破りになるおつもりではあるまいな」
斉昭「う?」
牧野「?」
乗全「?」
一同「・・・」
顔を見合わせる老中陣。

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【838】第3話 B2 『岩瀬・永井・堀の登用』≫

○江戸城・御用部屋
上座に阿部正弘(36)、下座に三人の男が平伏している。
3人はそれぞれ堀利煕(35)、永井尚志(37)、岩瀬忠震(35)。
N「長崎に来航したプチャーチン、そして来るべきペリー再航、イギリス・フランス艦隊襲来に対抗するため、阿部正弘は人材の登用を急いだ」
アメフト体系のがっちりした堀。
『堀利煕』
N「堀利煕、この時35歳。ペリー来航直前の嘉永6年(西暦1853年)5月14日に海防掛目付に登用される。出身は2500石の大目付家で家柄がよく、3人の中では最も出世が早かった。昌平黌大試天保14年合格。正義感が非常に強く、文武両道に秀でていた」」

 

○北海道
北海道・樺太の地図。
函館を見下ろす高台から図面を開いて従者に指示を出している堀。
五稜郭。
N「台場建設に携わった翌年には蝦夷にわたり樺太を視察、そのまま函館奉行となり、北方防備開発のグランドデザインを作った。函館・五稜郭や開港する横浜の設計造成も堀の力が発揮されることになる」

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【837】第3話 B1 『井伊直弼』≫

○御殿山
『御殿山』
高台から品川沖を眺望している。
房総から三浦まで圧巻の眺め。
忠優と井戸、石河。
元気がない忠優。
井戸「どうかされましたか、元気がないような」
忠優「いや、なんでもない。台場を置くとなるとあの辺りか」
井戸「そうですな、そこの八つ山を切り崩して埋め立てるとして、そうなりましょう」
忠優「どうだ、石河、どれくらいかかる」
石河「ざっと見積もって70万両は下らないでしょう」
忠優「手当てできそうか」
石河「はい。財政出動となると大船建造などその他の予算が圧迫されます。台場の譜請については商人よりの献金で賄うつもりでございます。佐久間など決戦に臨んで江戸の街を火の海にする計画ですから、商人にとっても応じるより他ないでしょう」
忠優「火の海とはしたり。あらかじめ庶民は全員避難させた上でのこと。家屋など焼けてもまた建てればよい。それに砲撃させる地域はこちらで誘導するのだ。被害は限定的だ」
石河「そうでした。御前は佐久間の案に賛成でしたな。ははは」
湾を行き交う商業船。
井戸「時に御前。溜間はいかがでございましたか。特に掃部守様は」
忠優「掃部守?」
井戸「井伊直弼様にございます」
忠優「ああ」
井戸「あまり関わり合わない方が無難でござりまするぞ」
石河「私も噂に聞いております。忍一件ですな。確かにぞっとする話でござる」

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【836】第3話 A4 『溜間』≫

○江戸城・溜間
広い大広間。
上座に溜間勢5名、下座に老中陣5名が座している。
『溜間』
老中席に阿部、忠優、牧野、乗全が座り、溜間席には高松候ら、阿部の対面に井伊直弼(38)が座っている。
高松候「こたび江戸湾にて異国人の上陸を許したというのは、一体全体どういうことなのですかな」
諸侯A「それも国書を受け取ったとか、それは紛れもなく幕府開闢以来の祖法を犯したことに相違ござらぬのではないか」
諸侯B「さすれば、それはご公儀始まって以来の大罪にも等しき暴挙ではござらんか。なんと申し開きされるおつもりじゃ」
老中陣「・・・」
うんざりする老中陣。
牧野「ですからっ」
高松候「ですから?」
牧野「まずはとにもかくにも、いきなりの開戦を避けるためでござるし、開戦するには軍備を整えねばなりませぬし、軍備を整えるには時間が必要である、しからば攘夷をするための時間稼ぎに成功した、ということでござる」
高松侯「な、なんじゃ?成功した?」
諸侯A「攘夷のための時間稼ぎ・・・?」
諸侯B「む、むう」
あっけなく納得したことに安堵する老中陣。
声「あいやしばらく」
老中陣、声の方を見る。
口を開いたのは、直弼。
『井伊直弼』

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【835】第3話 A3 『忠優と阿部の対立』≫

○江戸城・外観
声「我は反対だ」

 

○江戸城・御用部屋
忠優、阿部、牧野、乗全、久世、内藤の老中6名が会議をしている。
忠優「御老公を幕閣に参加させるなど我はとても容認することはできぬ。御老公を幕閣にする、それはすなわち幕閣の最高意思決定者が老中首座の阿部殿から御老公に移譲されることに他ならぬ。そんなことになったら滅茶苦茶なことになる。ただでさえ未曾有の重大な事項を遅滞なく決定せねばならぬ時に」
阿部「であるので、海防参与ということで、海防のみご担当頂くということで」
忠優「あの方の事。幕閣に加わったら海防以外の事にも口をはさむに相違ない。いや、いちいち一つ一つ案件をかの耳に入れていたら一歩も進まぬどころかあらぬ方向へ突き進みますぞ」
阿部「海防以外のことについては協議に参加せぬよう私が責任を持ちまする」
忠優「阿部殿!」
他の老中「・・・」

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【834】第3話 A2 『白旗詰問』≫

○水戸藩邸・外観
『嘉永6年(西暦1853年)6月14日』

 

○同・応接間
上座に斉昭、脇に藤田東湖。
下座で報告をしているのは川路聖謨ともう一名の幕閣。
川路「メリケンの艦隊は2日前に去りましてございます。退去させるに成功したと言えましょう」
斉昭「・・・」
不機嫌な斉昭。
川路「ご公儀をはじめ諸藩に至るまで防御力に乏しく、また二百余年の泰平により武士道が衰えている現状では、戦いを挑めば我が国の滅亡は必至。きゃつらを追い返すことができたことは上々の首尾と言えましょう」
斉昭「喝っ」
びくっとなる川路と一名。

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【833】第3話 A1 『ロシア来航』≫

○長崎港
高台から臨む美しい長崎港。
船がたくさん停泊している。
扇の形をした出島が見える。
『長崎』
湾口に接近する蒸気船1隻を含む4隻の外国艦隊。
N「嘉永6年(西暦1853年)7月18日、エフィム・プチャーチン提督率いるロシア艦隊4隻が長崎に来航した。それはペリー艦隊から遅れることわずかひと月後のことだった」
投錨しているロシア艦隊。
艦隊にはロシア国旗。

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【832】第2話 D4 『見送る忠優』≫

○岬
松が生い茂り、浦賀湾がよく見える小高い丘。
馬4旗の足が見える。
その見下ろす向こうには、黒船4隻。
2隻の蒸気船が黒煙を吐きながら江戸湾から離れて行っている。
馬上の忠優、井戸覚弘、川路、水野。
井戸「去っていきますな」
川路「日数にしてわずか10日間。だが1年の如く長く感じられる10日間でしたな」
水野「ですが、これからが大変だと存じまする。非難・批判の嵐、憂鬱になりまする」
忠優「・・・」
去っていく艦隊を見つめる四人。

 

 

 

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