開国の父 老中・松平忠固

【132】時の老中首座・水野忠邦は外国に無関心だった≫

忠固は失脚、鳥居耀蔵は出世

忠固が寺社奉行を罷免され、一方で鳥居耀蔵は勘定奉行に就任します。

それも、目付・北町奉行を兼帯したままで、です。

それは、警察庁長官と最高裁判事と財務大臣を同時に兼務することを意味します。

どれだけの権限が集中するか、考えなくとも分かることでしょう。

これまで罪をでっちあげて検挙し有罪に陥れてきた者が、その運営予算まで握ってしまうのですから。

 

 

 

水野忠邦は外国に無関心だった

それにしても、時の政権の最高責任者である老中首座・水野忠邦は何を考えていたのでしょう。

13代将軍家斉時代の放漫政治を改革する為に内政に集中することに精一杯で外国問題については無関心、といった感じでしょうか。

アヘン戦争も対岸の火事程度の認識だったに違いありません。

そうでなければ、有能かつ稀有な存在である高島秋帆や渡辺崋山らを捕縛する鳥居を諫めるどころか、昇進させるなどできる訳がありません。

忠固の罷免も、「生意気にも俺の決定に異を唱えやがって、許さん」程度だったと思われます。

もし水野忠邦・鳥居耀蔵内閣が長期政権だったら・・・、と思うとぞっとします。

 

 

 

 

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