開国の父 老中・松平忠固
【143】一番最初の開国要求≫
一番最初の開国要求はオランダ
天保15年(1844年)7月22日、オランダ国王の使者が長崎に来航、正式に日本に開国を勧めます。
これがペリーへ続く日本への開国要求の一番最初です。
オランダ国王ウィレム二世からの親書なので正式に返答する必要があります。
しかし、この時は水野忠邦の再登板時で政局が混乱していたので、返事ができませんでした。
この返答を翌年、老中首座となった阿部正弘が行います。
完全な拒絶でなく
一年後の6月1日、「これまで通り通信は琉球・朝鮮の2国、通商はオランダと唐国の2国、という国法は不変である」という返答をします。
しかしオランダはあくまで香港が割譲され莫大な賠償金を払わされたアヘン戦争を実例に好意的な勧告をしてくれたものであったので、阿部は上記の返答をしたものの、豪華な贈答品を返礼するのです。
しかも、返答は将軍でなく老中首座としてのものであり、完全なる拒絶でないというオランダへの暗示であることを伺わせます。
オランダはこの時のやり取りもあり、ペリー来航一年前にその来航の詳細を幕府に伝えることになります。
人気の記事
- 【100】日米修好通商条約は不平等条約ではなかった カテゴリ: 日米修好通商条約
- 【164】最も印象的なペリーの日本評 カテゴリ: ペリー/アメリカ
- 【101】江戸幕府が既に『大日本帝国』を名乗っていた カテゴリ: 江戸幕府
- 【123】日本初の外資系企業は カテゴリ: イギリス/外資企業
- 【125】南京条約、香港がイギリスへ カテゴリ: イギリス/外資企業
- 【112】江戸幕府の出世コース カテゴリ: 江戸幕府
- 【124】アヘン戦争から日本の近代史が始まった カテゴリ: イギリス/外資企業
- 【163】ペリーの知られたくない事実を知っていた日本 カテゴリ: ペリー/アメリカ, 江戸幕府
- 【130】恐るべき佐久間象山の『海防八策』 カテゴリ: 佐久間象山/吉田松陰
- 【800】『日本を開国させた男/日米和親・修好通商条約締結物語』目次 カテゴリ: 映画ドラマ脚本
カテゴリー
最近のコメント
- 【150】忠固の左腕・井戸覚弘 に ATSUHIKO MOTONO より
- 【150】忠固の左腕・井戸覚弘 に 吉見 幸春 より
- 【008】御子孫からのメッセージ に 青木 より
- 【008】御子孫からのメッセージ に 青木 より
- 【008】御子孫からのメッセージ に ATSUHIKO MOTONO より
コメントを残す