開国の父 老中・松平忠固

【163】ペリーの知られたくない事実を知っていた日本≫

最重要機密を知っていた幕府

ペリーは国書を渡すことに成功すると、来航からわずか9日間で日本を離れます。

これは長期滞在するだけの物資がなかったからで、この事実はペリーの個人日記にだけ記されたトップシークレットであり、公式文書にもなければ当然ながら相手(日本)には秘密のことでした。

しかし、幕府はこの事実さえつかんでいたのです。

当時の日本政府はペリーに対し互角以上の交渉をしていたことが分かります。

 

 

 

歪んだ理解が日本で根強いのも否定できない

その事実は、開国史の大家である横浜市立大名誉教授・加藤祐三先生の「ペリー艦隊日本遠征記」にて指摘されています。

先生は「歪んだ理解が日本で根強いのも否定できない」とおっしゃっています。

① 幕府が無策無能であった

② 黒船艦隊の軍事的圧力に屈した

③ 日米和親条約は不平等である

先生は、上記は「史実ではない」で既に序文でおっしゃっています。

 

 

 

 

 

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