開国の父 老中・松平忠固

江戸幕府

【163】ペリーの知られたくない事実を知っていた日本≫

最重要機密を知っていた幕府

ペリーは国書を渡すことに成功すると、来航からわずか9日間で日本を離れます。

これは長期滞在するだけの物資がなかったからで、この事実はペリーの個人日記にだけ記されたトップシークレットであり、公式文書にもなければ当然ながら相手(日本)には秘密のことでした。

しかし、幕府はこの事実さえつかんでいたのです。

当時の日本政府はペリーに対し互角以上の交渉をしていたことが分かります。

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【173】幕府史上、圧倒的な改革≫

怒涛の改革

ペリー離日から10日後、6/22将軍家慶崩御。

喪が明けるまでは控えていたのでしょう、8月に入ると堰を切ったように怒涛の変革を開始します。

8/1   ペリー国書を一般市民にまで公開

8/6   高島秋帆、出獄

8/10  水戸藩に西洋船『旭日丸』の建造を許可

8/26  台場造営を命令

9/8   浦賀奉行に西洋船『鳳凰丸』建造を命令

9/15  大船建造解禁

10/8  永井尚志を目付に登用、岩瀬忠震を後任の徒頭に

10/18 斉昭、大筒74門を献上

11/6  斉彬、15隻の艦隊製造を許可される

11/7  万次郎、旗本格で登用

11/23 将軍家定、就任

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