開国の父 老中・松平忠固

【150】忠固の左腕・井戸覚弘≫

長崎奉行・井戸覚弘

忠固の右腕が勘定奉行・石河政平だとすれば、左腕は長崎奉行・井戸覚弘』と言えます。

井戸覚弘は忠固が大坂城代へ昇進した同じ年に、目付から長崎奉行に昇進します。

そして忠固が老中となって翌年に起きた事件が『プレブル号事件』であり、その対応をしたのが井戸です。

これは、ジェームス・グリン中佐を艦長とする米国戦艦プレブルが長崎に来航、米国人遭難者13名と日本で初めて英語を教えたラナルド・マクドナルドを引き取った、という事件です。

 

 

 

忠固老中就任の翌年、北町奉行に

プレブル号事件が終結するとすぐ井戸は江戸に戻され、嘉永2年(1849年)8月4日北町奉行に就任し、江戸内閣入りします。

グリンも既にビッドルの柔和政策の失敗を意識して、断固とした姿勢を見せました。

その辺りのアメリカという国の肌間隔、やはり同時期に来航したセシーユ提督のフランス、そしてアヘン戦争のイギリス、など最新の情報が阿部・忠固内閣にもたらされたと言えるでしょう。

ペリー来航4年前、また一つ準備が整いました。

 

 

 

 

“【150】忠固の左腕・井戸覚弘” への2件のフィードバック

  1. 吉見 幸春 より:

    ジェームス-マクドナルドと書かれていますがラナルド-マクドナルド
    の間違いではないでしょうか?

    彼は長崎で森山栄之助を始めとするオランダ通詞に英語教えました。

    • ATSUHIKO MOTONO より:

      吉見さま、コメントありがとうございます。
      ご指摘頂き、重ねて御礼申し上げます。
      仰せの通り、誤記しております。正しくはラナルドです。
      訂正させて頂きます。

      更新が滞っておりましたが、2022年11月に開催されたシンポジウムの報告や新たにFacebookグループも発足したので、
      出来るだけ早く更新いたします。

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