開国の父 老中・松平忠固

【173】幕府史上、圧倒的な改革≫

怒涛の改革

ペリー離日から10日後、6/22将軍家慶崩御。

喪が明けるまでは控えていたのでしょう、8月に入ると堰を切ったように怒涛の変革を開始します。

8/1   ペリー国書を一般市民にまで公開

8/6   高島秋帆、出獄

8/10  水戸藩に西洋船『旭日丸』の建造を許可

8/26  台場造営を命令

9/8   浦賀奉行に西洋船『鳳凰丸』建造を命令

9/15  大船建造解禁

10/8  永井尚志を目付に登用、岩瀬忠震を後任の徒頭に

10/18 斉昭、大筒74門を献上

11/6  斉彬、15隻の艦隊製造を許可される

11/7  万次郎、旗本格で登用

11/23 将軍家定、就任

 

 

 

それまで一つでも成し得ないことを

政府文書の公開(秘密主義)、大船建造(謀反防止のため禁止)、人材登用(家格重視を無視)。

内務、軍務、人事、一つ一つどれをとってもそれまで成したことのない、変えようとすれば大問題になる案件です。

それを口ごたえする間も与えないごとく、一気に実施します。

この時は、斉昭(御三家水戸)も斉彬(島津藩)も一体となり、実に阿部正弘の理想通りの展開と言えましょう。

ちなみに、この間に井伊直弼は東京湾警備から京都警備へ左遷されます。

 

 

 

 

 

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