開国の父 老中・松平忠固

【117】モリソン号事件が蘭学者弾圧のきっかけに≫

アメリカ商船を砲撃して追い返す

ペリー来航から遡ること16年前。

アメリカ商船モリソン号が浦賀に来航するも砲撃し追い返す、という事件が起きました。

実は外国船が日本を訪れるのは、既に頻発していた出来事でした。

 

 

 

外国船来航の略歴

今分かるだけでもちょっと載せてみます。

1792 露ラスクマン、根室来航 → 幕府、海防掛を創設

1797 英プロビデンス、那覇寄港

1803 英フレディック、那覇寄港

1804 露ラザロフ、長崎来航も拒絶 → 樺太・択捉を焼き討ち

1808 英フェートン号事件、蘭国旗を掲げて長崎入港

1825 外国船打ち払い令発布

1827 英ブロッサム、来航

1831 露、蝦夷に侵入、交戦

1837 米モリソン号、浦賀に来航も打ち払い

1840 アヘン戦争勃発

1843 英サマラン号、八重山で測量を強行

1844 仏アルクメーヌ那覇入港、通商要求

1844 蘭バレンバン長崎入港、通商要求

1845 米マンハッタン浦賀入港、浦賀奉行と面会

1845 英サマラン号長崎入港

1846 仏セシル提督長崎来航、上陸拒否

1846 米国東インド艦隊司令長官ビットル浦賀入港、通商要求

1846 捕鯨船ゴーレンス号、北海道漂着

1848 ラゴタ号・プリマス号、北海道漂着

1849 英マリナー号、浦賀を測量

1849 米プレブル号、長崎入港。ラナルド・マクドナルド帰国

1852 蘭商館長クルティウス着任、ペリー来航を予告

1853 ペリー来航

1853 プチャーチン来航

 

 

 

モリソン号事件が蘭学者弾圧のきっかけに

このモリソン号打ち払い事件は大きな政治的影響を及ぼします。

モリソン号が来航したのは、日本人遭難民を日本に送り届けるためだったのです。

オランダからの報告でそのことを知った蘭学者達は、打ち払い令を批判します。

この政府批判(公に批判したわけではない)が、蘭学を敵対視する儒学者側の役人である鳥居耀蔵の蘭学者弾圧のきっかけになってしまうのです。

 

 

 

 

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