開国の父 老中・松平忠固
【106】修好条約と天津条約の税率≫
不平等条約である天津条約との比較
1858年、日米修好通商条約締結のわずか1カ月前に結ばれた天津条約。
この天津条約はアロー戦争(第二次アヘン戦争)によって欧米列強と清国が結んだ条約で、半植民地的内容です。
この条約の関税は5%、対する修好条約は20%(一般品)。
欧米各局同士の関税率は20%でしたので、日米の条件は欧米各国間の条件と同じ。
すなわち、決して不平等とは言えないものであることが分かります。
当初設定された輸入税率は、一部例外を除き20%とされ、同じく不平等条約の天津条約の5%と比較すると妥当なものであった。
また、開国当初は圧倒的に日本の輸出超過状態にあったが、5%の輸出関税を設けたために幕府の収入は増えた(日米修好通商条約交渉において、この輸出関税と引き換えに、最恵国待遇が双務的なものから片務的なものに改められている)。
1864年の幕府の関税収入は174万両、歳入の18パーセントに達していた。
しかし、下関戦争の賠償交渉と並行して行われた1866年の改税約書の調印により輸入関税が5%に下げられてからは輸入が増加に転じ、大量生産による安価な外国製の木綿製品が流入したために、関税の目的の一つである国内産業の保護ができなくなり、日本の手工業による木綿生産は大打撃を受けている。
もっとも手工業から大量生産への変化は近代化においては避けて通れない事柄であり、明治政府は富岡製糸場のような官営模範工場を設立してこれに対抗した。
また、関税収入も減り、明治初期には国庫収入の4%程度となってしまった(同時期の英国の関税収入は国庫収入の26パーセント)。
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