開国の父 老中・松平忠固

【146】一橋慶喜、誕生≫

斉昭7男が一橋家継承、慶喜に

弘化3年(1847年)9月1日、斉昭の7男・七郎麿が一橋家を相続します

一橋慶喜、最後の将軍・徳川慶喜です。10歳。

これも阿部正弘によって計画され、滞りなく実行されました。

忠固・斉昭・斉彬の3本の矢に加え、将来の将軍さえもメイクするのですから、なんという人でしょうか。

 

 

 

妻も上臈も将軍夫人の妹

阿部が斉昭を評価するのは、その実行力だけでなく将軍・家慶との関係もあります。

斉昭の妻・登美宮吉子は、家慶の妻・御台所喬子の妹であり、京都からの夫人付き上臈・花野井は家慶夫人の上臈・姉小路の妹なのです。

斉昭は謹慎中から阿部正弘に謹慎解除の懇願や対外政策などを手紙を出し続け、それがまとめられて『新伊勢物語(阿部が伊勢守だから)』となるわけですが、家慶にも姉小路を通じて手紙をやり取りします。

斉昭を味方につけることは政権安定に大きく寄与することであり、斉昭から阿部への手紙は斉昭が海防掛に就任すると同時に(つまり閣僚入り)終わります。

 

 

 

 

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